何とか今月中に


空から降りてきたつり革に
僕はつかまっている
どこか遠くの国では
つり革につかまりたくても
つかまれない人がたくさんいるのに
これはいったい何の手続きなんだろう
走馬灯のようによみがえるのは
雨戸の開け閉めとか
芯の取替えとか
そんなことばかりなので
まだつかまってる
 

公共の宿だった
山間の道をバスで三時間
紅葉の坂道を上ってきたはずなのに
仲居さんの着物の裾は
海岸でセイウチを洗ったかのように濡れていた
もちろんそれはレトリックの話で
仲居さんが本当にセイウチを洗ったのか
僕は知らないし
多分仲居さんも知らない
夜、部屋の電気をすべて落とすと
他に瞑るものが無いので
眼だけを瞑って寝た
笑わないで欲しい
このまま死んじゃうのかもしれない
とその夜思ったことを
 

もっと優しく
あなたを発音したい
あなたは僕の書置き
僕のすべてを記憶する
唯一の証人
あなたが夕食の支度をしている間
僕は風呂の掃除をする
誰もいないリビングのテレビから
刑事になりきった役者の
罵声が聞こえてくる
そのような優しさで
あなたをもっと発音したい
二人で
今日もたくさん生きてしまった